Monday, May 14, 2007

タンザニア滞在記:最終日&帰国

ついに休暇最終日がきてしまいました。10時にホテルをチェックアウトし、空港へ向かいます。12時半発のフライトだったので、充分余裕を持って到着したのですが、突然11時半発に変更になったから急いで乗ってくれと言われました。空港のスタッフが多いのにも関わらず、手続きは遅いし荷物は置きっぱなしにしてしまうしセキュリティーチェックもちゃんと機能していないしで、すごく小さな空港ですが管理・運営の非効率さを目の当たりにしました。私はこの混乱した様子ではバッグがどっかにいってしまってもおかしくないと思ったので、最後まで私たちのバッグが飛行機に積まれるのを見届けました。飛行機に乗って、私たちの指定された番号の席にいくと、すでに同じ席に座っている人がいます。間違えて座ってしまったのかなと思い、Tが「あなた方の席はここですか」と声をかけると、「そうだ」と言ってチケットを見せてくれました。確かに、彼らの席も私たちと全く同じ番号だったんです。おかしいと思ってスタッフに座席がダブって指定されていることを説明すると、じゃあ空いている席に座ってくれと言われました。そんな適当でいいのか??と思いましたが、Mさんによるとこの航空会社はダブルブッキングなどがよくあるとのこと。こうした単純なミスを平気でおかしてしまうのは結構重症だなと思いました。職員のトレーニング不足、マネジメント能力の欠如、ミスを簡単に許してしまう環境(=良い仕事をするためのインセンティブの欠如)などなど、いろいろな要素が影響していることは確かですが、改善しようと思えばすぐにできるのではないのかなあと思ってしまいます。それともそんなに簡単なことではないのかな。

ダルエスサラームの空港まで、Mさんが迎えに来てくれました。海沿いのレストランでピザを食べて、お土産屋さんに立ち寄った後、Mさんの家に戻って最後の荷造り。夜はMさんの手料理を大使館の方も含め4人でいただきました。香港カレーとイカとアンチョビの炒め物おいしかったです♪ご馳走様でした!ワシントンDCにいらっしゃるときには今度は私たちが何かおいしいものを準備しておきますね^^

空港で、お世話になったMさんとお別れをし、アムステルダム経由でワシントンDCへ。飛行機の遅れもあったので、待ち時間も含めてドア・トゥ・ドアで30時間もかかりました。。。ワシントンDCの家に着いたときは、まだ引っ越してから半年しか経っていないにも関わらず、実家に戻ったときのような安心感に満たされました。二人ともおなかをこわすこともなく物も盗まれず無事に楽しく旅ができてよかったです。一日一日が大変充実したとっても濃い2週間が、楽しすぎてあっという間に過ぎてしまいました。全く知らない国に行って、異なる文化に触れることは、その後の意識や行動に良い影響を与えてくれるような気がします。世の中には私の知らないことがそれこそたくさんあるので、お金と時間が許す限りこれからもどんどん旅をして自分の見聞を広めたいです。ちなみにこの2週間で撮った写真は合計1,000枚・・・これから整理するのが大変そうですが、旅のアルバムを作るのは楽しみです。

Saturday, May 12, 2007

タンザニア滞在記:ザンジバル島~東海岸編~

今日はストーンタウンを出発し、いよいよハネムーン本来の目的地である東海岸のリゾートホテルへ。二人ともこれまで予定をいっぱい詰めすぎて疲れ気味だったので、4日間だけでもビーチでごろごろすることが、心から待ちきれないといったかんじでした。車で約1時間の走行中、かなりの田舎町やマンゴーの林などを通り抜けました。 ほとんどの道は舗装されていますが、穴ぼこが結構あいていたり、スコールのような大雨が降ったあとは水浸しになってしまっている道路もありました。













タンザニアには日本の中古車がたくさん走っていて、中でも事業用に使われていた車はそのまま日本語が残っています↓これは多分地元の人たちのバス?後ろに2人の男の子が立っているにも関わらず時速80Kmくらいでとばしていました。














牛が道を遮ることも。














ホテルは大型リゾートホテルで、その敷地のまわりには厳重な警備がされていて、プライベートビーチには一切外部のもの売りやサービス業者などが入れないようになっていました。これこそまさに、隔離された楽園といったかんじです!しかも今は雨期なので客が少なく、真っ白な珊瑚のなめらかな砂とヤシの木に囲まれた広いビーチもほぼ独り占めでした。















この4日間は本当にのんびりできました。二人とも、時間に縛られてしまうドルフィンツアーやスパイスツアーなどを組む気もおきず(ドルフィンは触ってみたかったけど)、海とプールで好きなだけ泳ぐか、本を読むかして過ごしました。














こちらが私たちのバンガローのバルコニー。















Tは久々にウインドサーフィンを楽しんでいました。私は全くできないので、ビデオカメラを撮る専門。最終日に、Tが戻ってきて、何かハリのようなものを踏んでしまって足の裏に黒いものがぐさぐさ刺さって痛いと言うので、レンタルショップのおにーさんに聞いてみると、ウニを踏んでしまったとのこと。それは毒性はないし数日経てばぽろぽろ落ちるから大丈夫と言われましたが、心配だったのでホテル内の医務室に行ったら、パパイヤを渡され、パパイヤの汁を塗っていれば自然ととれると言われました。いまだに足の裏に数本残っているのですが、毒性はないという言葉を信じて放っているようです。
















1日3食付のプランで、最初飽きるかと思ったのですが、毎日違うメニューで昼と夜は前菜・メイン・デザートとどれもこれも美味しくて食べ過ぎてしまったくらいでした。サービスも至れりつくせりで完璧でした!(Mさんいわく、タンザニアでサービスが良いのは珍しいらしい。)2日目の夜は、ちょっと奮発して、浜辺にある1日1組限定のレストランで、波の音を聞きながらシーフードをふんだんに使ったフルコースのディナーをしました↓すごくロマンチックな内装で、メインのロブスターは巨大な上、ココナッツの風味が最高に美味しかったです。
















あと、夜になると満天の星空が広がりすごくきれいでした。まわりに何もないジャングルのような地域なので、星がくっきり見えるのだと思います。部屋にはテレビも電話もラジオもインターネットも何もないので、夕食後はホテル内のオープン・バーで(蚊と戦いながら)飲むか、部屋で外の虫の声を聞きながらひたすら本を読むかして過ごしました。二人ともこの4日間は日常の世界から隔離され何も考えずに心身ともにリラックスできたと思います。














Wednesday, May 09, 2007

タンザニア滞在記:ザンジバル島~ストーンタウン編~

Mさんのアパートに1泊させていただき、次の日にザンジバル島へ。ザンジバルとは、インド洋の珊瑚礁に浮かぶ小さな島で、ココ椰子やマンゴーの林が広がる豊かな緑に恵まれた島。ザンジバルの中心はストーンタウンで、 19世紀、オマーン王国がストーンタウンにその王都を移したことから、当時の真っ白いアラブ風の建物や宮殿跡などが今でも残っています。私たちのハネムーンの目的は、島の東海岸でぼけーっとのんびりすることでしたが、せっかくなのでストーンタウンにも1泊して遺跡をまわってみることに。

ダルエスからザンジバルまでの飛行機は、12人乗りの超小型機でした。飛行機から見えたダルエス。













ザンジバルが見えてきました。














空港に降り立ち、早速タクシーの交渉。ザンジバルにはヨーロッパ系の観光客が多く、Tも私もぼったくりには気をつけるよう言われていました。乗り込んだタクシーはたまたまですがこれまでに見たことがないほどのオンボロ車で、ドアの内部が丸見えで、メーターの針はとれていて、座席もやぶれていて古いTシャツで覆われていました。そんな車なのに歩行者をひいてしまうのではないかと思えるほどの運転の荒さでしたが、無事にホテルには着きました。ホテルに着くまで、今日はこのあとどんなツアーを組もうかとか、明日は何時に迎えにいけばいいとか、頼んでもいないのにとにかくせっかくゲットした客を最大限活用しようとしていました。

ホテルは、ストーンタウンのド真ん中にあるアラブ風のホテルで、私たちが着いたときは停電中でした。最上階の5階まで懐中電灯を持ってのぼっていくと、私たちの部屋があり、その部屋のルーフトップからはストーンタウンの街や海が一望できました。ちなみにトイレも屋外という独特なアレンジ。

















荷物を置いて、早速ストーンタウンを散策することに。ストーンタウンは迷路のような複雑な細い道が特徴で、私たちは何度も迷ってしまいました。私が立ち止まって地図を開くと、子供たちが寄ってきて、「どこに行きたいの?」と聞くので場所を説明したら、「ついてきて」と道案内をしてくれました。彼らについていったら、最後に一番年上らしき男の子に、「Give me money(お金ちょうだい)」と言われました。私は最初なんと言ったのかわからず、え?と聞き返すと、「Give me money」と3回ほど言われ、囲まれた子供たちにじーっと見られました。案内してあげたんだからチップをよこせという意味で、確かに案内してもらったから仕方なく1ドル札をあげましたが、子供のときから外人を見たらお金をもらおうとすることに慣れてしまったら悲しいなと思いました。ストーンタウンには道端に暇そうに座っている人たちがたくさんいて、私たちが歩いているとついてきて、物を売ろうとしたり、ドルフィンツアーはどうだといったかんじでツアーを組もうとしたり、レストランに案内しようとしたり、なかなかしつこかったです。ザンジバルは観光以外の収入源がほとんどないので、仕事があまりないのだと思いますが、観光客が多いから島に来れば仕事があると勘違いして移り住む人も多いようです。

ストーンタウンはそこまで大きくないので、名所は1日で見てまわることが可能です。私たちは、オールド・アラブ砦(1710年頃アラブ人が建てた砦)、パレス博物館(オマーン王国の宮殿)、ハウス・オブ・ワンダー(式典用の宮殿)、大聖堂などを見てまわりました。大聖堂は、奴隷市場の跡地に建てられたもので、かつて奴隷たちを収容した地下室にも入れました。そのあまりにも狭い地下室に70人ずつ収容されたと聞いて、奴隷に対するひどい扱いようが感じ取れました。これが大聖堂。














地元のマーケット。


























ストーンタウンの街並み。























歩き疲れてくたくたになり、ホテルに戻りました。ちょうどホテルのルーフトップからは、超きれいな夕焼けを望むことができ、かなり癒されました。
夜は、Mさんが進めてくれたLiving Stoneというビーチの上で食べられるレストランで夕食をしました。あと、夕方になるとフォロダニ公園の浜辺に各種の屋台が出現するのですが、そこでもえびや貝の串焼きなどを食べました。Nちゃんお勧めのザンジバルピザは食べ損ねましたが、どれもこれもハエがたかっていて危険そうだったけどちゃんと目の前で焼いてもらったのでおなかをこわさなくてよかったです。

Tuesday, May 08, 2007

タンザニア滞在記:首都ダルエスサラームに到着!

キリマンジャロ山の上空を飛んで、ノルウェーを出てから20時間後に、タンザニアのダルエスサラームに到着。空港には、現地の日本大使館で働く大学院の先輩Mさんが車で迎えに来てくれていました。まずはスーツケース3個を置きにMさんのアパートへ。 Mさんのアパートは、インド洋が一望できるバルコニー付きの広くて素敵なお部屋でした。3ベッドルームそれぞれにバス・トイレが付いているのにもびっくり。Mさんの部屋から見えた夕焼けはこんなかんじ。













荷物を置かせていただき、3人で海の見えるレストランでランチ。気温が30度くらいでも潮風が吹いていて気持ちよかったです。おなかがいっぱいになった後、ワシントンDCのNちゃんが勧めてくれたティンガティンガ村へ。ティンガティンガとは、タンザニアの代表的な絵画で、動物や植物などの自然が描かれます。この村で職人と訓練生が独特な絵を描いて、展示・即売しています。私たちもアフリカンダンスの絵とキリンの絵を購入。































その後、おみやげ物を売るお店が集まっている地区へ。平日の昼間だったからか私たち以外にお客さんがいる様子はなく、うちの店にきてくれと声をかけてくる人たちにずっと付きまとわれました。サラダなどに使えそうな木のボールが気に入ったので購入。ティンガティンガのときもそうでしたが、最初は必ず相場より高い値段を言ってきて、私がじゃあいらないというと値段が半額になったりしました。

ダルエスには、高いビルはありましたがそこまで多くなく、きちんと舗装された道路とがたがたの道路の差が激しかったです。停電がしょっちゅう起きるので、機能していない信号をいくつも見かけました。夜の運転は特に、電灯が少ないので危ないなあと思いました。車が歩行者におかまいなくびゅんびゅん走り、土埃がひどかったです。

















夜は、キリマンジャロ・ホテルのアジアン・レストランで、Mさんに“結婚祝い”ということでお寿司などをご馳走になってしまいました。海が近いということもあって、シーフードが美味しかったです。まさかタンザニアでこんなに美味しいタイの薄造りを食べられるとは思ってもいませんでした。Tは現地のキリマンジャロビールやサファリビールが気に入った様子。すごく素敵なレストランで大満足でした。

Monday, May 07, 2007

アムステルダム半日観光

ノルウェーでの1週間は毎日内容が濃くてあっという間でした。しかもたまたま晴天に恵まれたおかげで、私の家族も短い滞在をめいいっぱい楽しんでくれたようです。ノルウェーでの出来事は他にもたくさんあるのですが、タンザニアについて記憶がフレッシュなうちに書かないと忘れてしまうのでとりあえずノルウェー滞在記は以上です。

ノルウェーからタンザニアへは、KLMでアムステルダムとナイロビを経由しました。アムステルダムでは待ち時間が7時間もあったので、せっかくなのでダウンタウンを観光することに。街の中心地へは、空港から電車に乗って10分くらいで着いてしまいます。オランダといえばチューリップ、チーズ、風車。そしてその首都アムステルダムといえば中央駅を中心に市内に網の目状に広がる運河が有名ですが、私たちが観光した日は雨が降っていて運河がどんよりして見えました。あと、この街はフラットなので自転車に乗る人が多いことでも知られていて、私は最初自転車用と歩行者用の通路が分かれていることに気づかずに、自転車用の通路を歩いてしまい危なかったです。自転車を利用する人が多いことは健康的で環境にも優しいので車に依存しているアメリカ社会も見習うべきだな~と思ったりしました。

Tは今や観光地となっているアンネ・フランクの家には行ったことがあるし雨が降っているからということで、オランダ最大のアムステルダム国立博物館に行きました。焼陶器やレンブラントの絵画などを見ながら少しだけオランダの歴史を感じることができました。こちらが街の中心にあるダム広場の写真(王宮と戦没者慰霊塔)。








Saturday, May 05, 2007

ノルウェー滞在記:2度目の結婚式

いよいよオスロでの結婚式の日がやってきました。私は12時にヘア&メイクアップのためサロンへ。ここから午後4時のセレモニー開始まで(つまりバージンロードを歩くまで)花嫁は花婿にその姿を見られてはいけないことになっています。なので、午後3時頃、Tの母、叔父、妹が車でサロンまで迎えに来てくれました。 なんと、その車は映画007シリーズで何度もボンドカーとして登場したことで有名な1950年代もののアストン・マーティン。(車には詳しくないですが今売ると数千万円の価値らしい。)Tの叔父さんが大の車好きで、すごくレアな車を集めていてそのうちの一台を私たちの結婚式のために出動させてくれたのです。しかも、車の先端にはTの叔母さん手作りの日本とノルウェーの国旗が(!)














私たちは予定より早めに教会に着いてしまいました。実は私もTもクリスチャンではないのですが、ノルウェーの国教はキリスト教で伝統的な結婚式は教会で執り行われるので、私たちもその国の慣習に従うことにしました。その教会は、Tの両親も結婚式を挙げた場所で、800年の歴史がある伝統的な教会です。














ゲストが会場に入ったのをTの妹が見計らって、私も裏から教会に入りました。待機所には、左胸のポケットに一輪のバラを付けた父が待っていました。私は父が緊張しすぎてバージンロードを歩くときにロボットのように歩いてしまうのではないかと心配していましたが、父は大して緊張していない様子。そういえば、昨年の日本のパーティに入場するとき私はすごーく緊張したのに、今回は大して緊張していないな~なんて冷静に考えたりしました。(ゲストが外国人ばかりだから?)二人で歩く練習もなにもせず、いきなり本番へ。

4時になり、教会のスタッフからサインが出て、オルガンの音色が鳴り響く中、父と腕を組んで入場しました。私は結婚式の音楽を聞くだけで涙が出そうになるのですが、今回は絶対に泣かないぞと決めていたので、楽しいことを頭に思い浮かべて笑顔で歩けました。教会には、Tの母がサプライズで、ハープ奏者をアレンジしてくれていて、その演奏は本当に素晴らしかったです。













途中何度も涙が出そうになりましたが、順調にこらえながらいよいよ誓いの場面へ。牧師さんの言葉に対して、Tが「Yes, I do」と言った瞬間に、誓いの内容に感動したのかTがYesと言ってくれたことに対して嬉しかったのか何なのかよくわかりませんが、これまでこらえていた涙がごーっと出てきてしまい、私が「Yes, I do」を言う番では声が震えてしまいました。(泣かないと決めていたんですけどね・・・)













式が滞りなく終わり、二人で腕を組んで退場し、教会の外でゲストからの祝福を受け、たくさん写真を撮りました。そういえば、そのとき親戚の方からお米を投げられましたが、これは“実り多い人生を”との祝福の意味だそうです。日本だと花びらを投げるフラワーシャワーが一般的になってきていますよね。こちらではライスシャワーのほうが普通なのかな。

その後、二人であの国旗付きのアストン・マーティンに乗り披露宴会場へ。途中何度も「おめでとう」のクラクションを鳴らす車に遭遇し(車の後ろに「Just Married」の紙が貼ってあったので)、運転手の叔父さんがクラクションを鳴らし返していて、面白かったです。披露宴会場はノルウェーらしい木で出来た温かみのある建物で、Tの母がアレンジしてくれたお花もきれいに飾られていました。













日本の披露宴では家族は後ろのはじの方に追いやられてしまいますが、ノルウェーでは家族は全員一番前の席に座ります。料理はノルウェーの海の幸を生かしたフレンチのフルコースで、メインはラム料理。日本の披露宴で料理をたらふくたいらげる新郎新婦なんて見たことがないと思いますが、私たちは一品一品ワインとともにすべて美味しくいただいてしまいました(笑)料理が運ばれてくる合間に、スピーチや余興があり、感動したり大笑いしたりの連続でした。私の両親も英語でのスピーチにチャレンジしていました



















食事を終え、暖炉のある部屋に移り、休憩。定番のケーキカットをした後は、ダンスタイム。私もTも一切準備をしていなかっただけに、ボールルームダンスのステップなどさっぱりわかりませんでしたが、なんとかごまかしながら乗り切りました。その後は、DJがヒップホップやR&Bなどの若者向けの音楽に切り替え、会場内にもバーが設置され、飲んで踊って大盛り上がりでした。結局午前2時頃までパーティは続きました(長い1日だった!)。驚いたことに、Tの親戚は午後10時か11時頃には帰って結局若者だけが最後まで残るのかと思いきや、50歳を過ぎたおばさん・おじさんたちも最後まで楽しそうに踊っていて、更に驚いたことには、Tの85歳のおじいちゃんが午前2時になっても私たちと一緒に会場に残り踊っていたことです。おばあちゃんは疲れてすでにホテルの部屋で寝ていましたが、85歳であのエネルギーはすごいな~と感心せざるを得ませんでした。アメリカ人の友達の中であのノルウェー人のおじいちゃんは伝説になっています。

とにかく、何もかも予定通り順調に進んで、無事にパーティを終えることができてほっとしました。これもすべてTの家族の力強いサポートのおかげです。特にTの母のサポートなしでは、ここまで素敵で楽しいパーティは実現できなかったと思います。そして、私の家族とTの家族の親交も深まり、私もTも嬉しい限りです。皆さんはるばるノルウェーまできてくれてありがとうね。日本でのパーティでも感じましたが、ゲストの皆さんからいただいた祝福に恥じることのないよう、どんなときも二人で支えあって夫婦愛を大事にはぐくんでいこうと改めて思いました。

Thursday, May 03, 2007

ノルウェー滞在記:フィヨルドツアー!

本日は、楽しみにしてきたフィヨルド観光の日。大自然の国ノルウェーといえば、フィヨルドは見逃せません!ノルウェーのフィヨルドは世界に類を見ない規模で、なかでもガイランゲンフィヨルド、ソグネフィヨルド、ハダンゲンフィヨルド、リーセフィヨルドは四大フィヨルドと呼ばれていて観光客に人気のスポットです。私自身今回初めてのフィヨルド観光。事前に、フィヨルドツアーのウェブサイトで、四大フィヨルドの一つ、世界で最大最長のソグネフィヨルドの景観が楽しめるベルゲンからオスロまでのツアーを予約しておきました。コースは以下のとおり:ベルゲン(列車)→ヴォス(バス)→グドヴァンゲン(フェリー)→フロム(フロム鉄道)→ミュールダール(列車)→オスロ。

ちなみに、簡単にフィヨルドについてご説明すると、フィヨルドはノルウェー語で「内陸部へ深く入り込んだ湾」という意味。フィヨルドはおよそ100万年前の氷河期に生まれたものといわれています。当時スカンディナビアを覆っていた氷河が動きながら、その重みで山肌を削り、深い谷間を作り、河床を掘り下げていったところに、氷河期が終わったあと、海水が流れ込み、現在見られるような入江が形成されたものがフィヨルド、というわけです。

8時40分ベルゲン発の列車に乗り込んで、いよいよノルウェー横断の旅開始。ヴォスまでの車窓の風景はこんなかんじ↓ノルウェーらしいうろこ屋根やオレンジ色、えんじ色に塗られた外壁の家々が車窓に広がります。













1時間もすると、山や川や湖などの、豊かな自然の風景に変わっていきました。 車窓からの眺めは本当にきれいで、姪も「見て見てー!うわぁ~きれいね~」 の連続。










ヴォスからグドヴァンゲンまでのバスは、かなり険しい山道を走りました。道はバスが1台しか通れないような狭さなので、ハラハラする場面もあり。休憩所で止まる山頂からの大パノラマは、深く狭い谷と背後の山のコントラストがきれいです。


















グドヴァンゲンからフロムまでのフェリーは、フィヨルド観光のハイライト。船が切り立った山々の間を約2時間に渡って航行します。船のまわりを飛んでいるカモメがダイナミックな自然の景色を一層引き立てます。これがフィヨルドか~とため息がでるほど、水面に映るフィヨルドは絶景でした。このような手つかずの自然が残っていることは本当に貴重だと思いました。山肌にはいくつもの滝が。とにかく良い天気にめぐまれたおかげで、デッキに座っていろいろな風景を鮮やかに楽しむことができました。フィヨルド沿いにはかわいらしい小さな家々が点々とあり、こんなところに住んでいて不便じゃないのかなぁと純粋に思ってしまいました。空気は美味しそうですが。















フェリーでフロムに到着。そこでランチをしました。(ハンバーガーセットがなんと2,000円・・・。)そこから、今度は1940年に開通した登山列車フロム鉄道に乗ります。路線の標高差は866mで、20Kmの距離を約1時間かけて走行します。一番の見物は、ショースの滝。写真撮影のため電車が一時停止します。滝がすごく近く、水しぶきが飛んできてかなりの迫力でした。

ミュールダールに到着した頃には、みんなお疲れの様子。そこから列車に乗り、オスロまで5時間かけて帰りました。オスロに到着したのは22時30分。丸々1日かけてのフィヨルド観光でしたが、巨大な山と海が生み出す壮大な景色を思う存分満喫できました。これはノルウェーに観光に来る人に是非お勧めしたいコースです!もし時間があるなら、ルート途中の街で1泊して大自然の中でカヌー、ラフティング、釣り、ハイキングなどのアクティブティを楽しむのも良さそうです。

Wednesday, May 02, 2007

ノルウェー滞在記:ノルウェー第2の都市ベルゲンへ

ノルウェーに来てから4日目。オリジナルの家族が全員そろったところで、予定通りノルウェー第2の規模を持つ都市ベルゲンへ向かいます。オスロから飛行機でたったの40分でベルゲンに到着。ベルゲンは港町で、12~13世紀はノルウェーの首都だったこともあり、街並みは中世ハンザ都市の面影を残しています。街には狭い石畳の通りが多く、そこにお店がずらっと立ち並んでいました。すごく小さな街ですが、山と海に囲まれていてきれいで趣きがあります。まず、ベルゲンといえばユネスコの世界遺産に登録されているブリッゲン地区が有名とのことだったので、そのカラフルな三角屋根の木造家屋を見に行きました。













あと、湾に面した広場にあるフィッシュマーケット(魚市場)もベルゲンのシンボルだそうです。その場ですぐ食べるなら塩ゆでのエビやスモークサーモンのサンドイッチなどが新鮮でおいしいみたいです。(私たちは食べませんでしたが。)なんとこんなところで日本語を発見!ノルウェーに、しかもオスロではなくてベルゲンに、日本人観光客が来るものかな~なんて不思議に思ってしまいました(自分たちは棚に上げて。。。)













その後、ケーブルカーで標高320mのフロンエン山の頂上へ。













そこからベルゲンの街が一望できるのですが、思わず喚声を上げてしまったほど絶景でした。この写真だとその良さが伝わらないのですが。。。 夜景もきれいなようです。













頂上でアイスクリームを食べてのんびりと山頂からの景色を楽しんだ後、ケーブルカーで街に戻り、湖のまわりをぶらぶら散歩しました。湖畔には、牡丹桜がきれいに咲いていました。













夜は、Tが予約してくれた北欧料理が食べられるというレストラン“Naboen”で夕食をしました。レストランの雰囲気も良く、シーフードやミートボールやラム肉などどれもこれも美味しかったです。食事が終わるころ、前々から母には内緒で企画していた母の退職祝いを実行することに。といっても、家族でお金を出し合って買ったダイアモンドのネックレスをプレゼントするだけなんですが、兄弟を代表して長女の姉がこれまでお疲れ様でしたといってプレゼントを渡すと母はまたもや泣きそうになっていました。父がさりげなく母のほしいものを探っていたので、喜んでもらえてよかったです。(ネックレス、いらなくなったら私がほしい・・・)

ホテルでは、どの部屋もドアを開けっ放しであっちこっちの部屋に行ったりきたりで久々にオリジナルの家族が揃っての旅行を楽しめた気がします。7人全員が揃って旅行するなんて何年ぶりだろう??まさかうちの家族で遠い遠い北欧の国ノルウェーを旅することになるとは、誰ひとり(私も)予期していなかったと思います(笑)両親は家族が増えていくのを楽しんでくれているようです。それにしても改めて、自分がノルウェー人の妻であることを考えると本当に人生何が起こるかわかりません。