Friday, December 07, 2007

ウガンダに到着!

昨日の午後、Tの出張先のウガンダの首都カンパラに到着しました。今年に入って3つ目のアフリカの国です。首都だけを比べるならば、カンパラは道も整備されていてビルも多くてアジスアベバより発展している印象を受けます(写真はすべて夫がとったカンパラの景色です)。それに、アジスは物乞いが多いですが(特に信号が赤になって車が止まると外国人に寄ってくる物乞いが多い)カンパラではそのような光景は目にしません。あと、イギリスの影響からか家々の外観がきれい。アジスではあんなに素敵なヨーロッパの田舎にあるような一軒家は見ないなぁ。。。
エチオピアを去る前夜、日本人の方々と夕食をご一緒させていただいたときに、ウガンダではエボラ出血熱が発生したらしいということをお聞きしてちょっとびびっていましたが、もちろんそれは本当ですが首都は大丈夫みたいです。でもこの週末は首都から車で4時間くらいの国立公園に行ってきます。病気にならないように楽しんできたいと思います。

Tuesday, December 04, 2007

エチオピア滞在記:テニス上手くなりたい

エチオピアと全然関係ないネタですが最近再びテニスが上手くなりたい病にかかってます。日本で働いていたときに会社のテニス合宿に参加してテニスが上手い人って(女性も男性も)なんてかっこいいんだろうと思って、テニス上手くなりたい病にかかってたくさん練習したけど、アメリカにきてからTと毎週末ただ打ち合いをやっていたから(しかも私は全然相手にならないので)真剣さを忘れていました。が、エチオピアにきて、JICAの皆様に週末テニスに誘っていただくようになってから、やっぱりテニスが上手くなりたいと思いはじめました。ダブルスで試合をやると特にそう感じます。ワシントンDCにテニススクールってあるのかな。でも高そう。こっちだとすごく安く練習できるのに・・・。中学高校のときは、テニスができる人よりサッカー選手が好きだったけど今はサッカーはどうでもよくてテニスのフォームがきれいな人に憧れます。なんでだろう。。。

ところで、エチオピアでの滞在もあと2日になりました。明後日にTがいるウガンダへ行きます。そしてウガンダに1週間滞在したあと、Tと一緒にワシントンDCに戻る予定。またウガンダ滞在記も載せようと思います。ちなみに私の父は私のエチオピア滞在記を読んで母にエチオピアに行こうよとか言っているらしい。でも確かに自然や歴史を感じると私の家族にも見せたいなーと思います。とりあえず写真だけでも楽しんでね。あといよとゆうかにも見せておいてね。

Friday, November 30, 2007

エチオピア滞在記:標高3,100メートルの山を登る


ゴンダール2日目。再び早起きして、山登りにチャレンジすることに。ホテルから車で舗装されていない道を走ること約45分、車が入れなくなるところで車を止めて、山頂のビューポイントまでガイドさんに付いてひたすら歩きました。観光客らしき人たちは私たちだけで、案の定地元の子供たちもなぜかぞろぞろと付いてきて、知らぬ間に一番大きな女の子が私の手をとって足場の悪い道のりを歩くのを助けてくれました。(もちろん最後にしっかりチップを請求されました…)

この山はセミエン山脈といってアフリカの代表的な山脈の一つで、私たちがプチ・トレッキングしたところは標高3,100メートル。二人ともまったく高山病にならなかったのでよかったです(二人ともそんな標高が高いところを歩くとは知らなかった。)歩いていると次々に、息をのむような絶景が眼の前に現れてきます。
こちらの山羊、野生なのか飼われているのか不明。あと、バブーンと呼ばれる野生のサルがいっぱいいました。
急峻な渓谷をのぞきこむ私たち。左のガイドさんが指差しているのがお猿さんたち。
写真を撮りまくっていた夫は大いに遅れをとることに。ずっと先に見える白い点が私です。

これが、私たちが立っていた崖。かなり急でこわかったです。一瞬、ずるって滑って落ちたら終わりだーとか考えてしまいました。高所恐怖症の人には無理かも。
以上、雄大な山々の景色にたくさん魅了された体験でした。今回の旅は、日常生活から離れて歴史と自然を満喫できたのでTも私も大満足。Tはいつかまたここに戻ってきて本気でトレッキングをしたいと言っていました。私も時間があったらセミエン国立公園まで行きたかったなぁ。

Thursday, November 29, 2007

エチオピア滞在記:エチオピアの古都ゴンダールへ


ラリベラから飛行機に乗って今度はゴンダールへ。遅れることで有名なエチオピア航空、見事に3時間も遅れました。時間が少ないので結局ここでもガイドをお願いすることに。最初車込みで600ブルと言われましたが半額の300ブルまで値引きしました。やっぱりガイドさんがいれば重要なポイントを見落とすことなく一通りまわれるしエチオピアの歴史や文化についても学べるので価値ありです。

ゴンダールは17世紀から18世紀までエチオピア帝国の首都だった町。ゴンダール地域もユネスコの世界遺産に登録されています。最初に向かった先は、内部装飾が豊かなダブレ・ベルハン・セラシエ聖堂。この教会の天使の天井壁画が有名で、天井は80もの微笑む天使の顔に覆われていました↓
次に、ゴンダールの主要観光スポットである、エチオピアの歴代の王によって建てられた6つのお城を見に行きました。すべてのお城が一つの敷地内にあります。


ひとつひとつのお城の説明は省きますが、アラビア様式やヨーロッパ様式の石造りのお城はとても立派でした。いろんな国のお城を見るのは文化の違いが垣間見れて面白いです。日本のお城は質素、タイのお城は金だらけできらびやか、イギリスやフランスはゴージャス、エチオピアは・・・石造りだから重々しいかんじ?ですかね。


第二次世界大戦中にイタリアがエチオピアを占領していたとき、イタリア軍がここのお城を軍の本部として使用していたことからイギリス軍の空爆を受け廃墟となってしまったものもありました。(歴史的建造物は守ろうよってかんじですが。)屋根がなくなってしまったお城の中から見た空模様。


その後、ファシラダス王の浴場を見に行きました。浴場っていうかこれは巨大なプールでしょ!というくらい大きかったです。浴場の周りを取り囲む壁に木の根ががっしり張ってあり、長い歴史を感じさせます。
夕方5時頃ガイドさんと別れて、ゴンダールの町をぶらぶらしました。ゴンダールはラリベラと違って人口も多く町が栄えていました。ゴンダールは標高2000mという立地条件を備えているので、ファシリダス王は低地に蔓延したマラリアから民を守るためにここに遷都したとも言われています。だから夜はアジスアベバ同様肌寒かったです。夜は宮殿の前にあるHabeshaというローカルレストランでエチオピア料理を食べました。ここのラム料理がすごく美味しかったです。

Tuesday, November 27, 2007

エチオピア滞在記:ラリベラの早朝

前日は朝5時起きで、しかも一日中歩きまわって疲れたので早めに就寝。ちなみにラリベラは水不足の問題を抱えていて朝晩3時間しか水が出ませんでした。次の日はなぜか朝6時に起床。早く写真を撮りたいからと、支度をしている私を置いてTはさっさと外へ出ていってしまいました。支度を終えてTを追いかけると、やっぱり朝の6時半でもTの三脚のまわりには子供たちが集まっていました。みんな早起きだなあ。

こんな、壊されていないありのままの大自然を眺めていると日常のちっぽけな悩みとかはどうでもよくなります。ワシントンDCやアジスアベバにいると毎日せわしないけど、こうしてTと一緒に丘の上に座って目の前の自然を眺めてただのんびりできるだけですごく幸せに感じました。

エチオピア滞在記:夫がエチオピアにやってくる~世界遺産ラリベラへ~

先週水曜日から今週月曜日まで、サンクスギビングを利用してTが出張先のウガンダからエチオピアへ遊びにやってきました。待ちに待った1ヶ月半ぶりの再会。もちろん、到着した日はエチオピアレストランへ連れていき、エチオピア料理&エチオピアダンスを堪能してもらいました。そして次の日は短い滞在期間を最大限に活用すべく容赦なく朝5時起きで、世界遺産をめぐる旅へ出発!

最初に向かった先はエチオピアで最も有名な観光地であるラリベラ。アジスアベバから飛行機で約1時間のところにあります。 空港から町の中心地までの大自然が本当に壮大で、車で移動の30分間はその景色に目が釘付けでした。
ホテルに到着し、チェックインを済ませてから町をぶらぶら散策しました。すっかりカメラにはまってしまい、私がいない間に勝手に新しいレンズを購入していたTは、相変わらず写真を撮りまくっていました。観光地だけあって、立ち止まって写真を撮っていると子供たちが集まってきてお金をくれとせがんできます。Tが三脚を立ててカメラをセットしようとするとあっという間に子供たちに囲まれていました。それでもTはカメラに集中。

ラリベラへ来た目的は、ユネスコの世界遺産に登録されている、地下に彫られた「岩窟教会群」を見ること。12世紀に、エチオピアのラリベラ王がなだらかな斜面にあった巨大な岩を地下にくり貫いて造った11の教会が今でも残っているのです。岩でこんなすごい建築物が造れるなんて信じられん、とただただ驚くばかり。ひとつの教会から教会まで移動するにも岩でできた通路を通ったり真っ暗な洞窟をガイドさんと手と手をつないで、低くかがんで歩いたりしました。足場が悪いので歩きやすい運動靴を履いていてよかったです。あと、教会の内部に入るときは毎回靴を脱がないとならないので、靴下を履いていないときついです。教会内部に敷き詰められたカーペットは古くてダニやノミに侵されているとガイドブックにあったので、私は毎回ジーパンを巻き上げて床につけないように注意しました。
11の教会の中でも最も有名な教会がこちら、聖ジョージ教会(別名聖ギオルギス教会)。人が写っていないのでこの教会の巨大さがわからないかもしれませんが、ほんっとうにでかいんです。こんなのを800年も前にどうやってつくったんだろうか・・・一つの岩を掘り下げて造られているんですよ、これ。とにかくすごすぎでした。

教会は11もあるので、すべてはまわれませんでしたがそれでも3時間に渡ってひたすら歩いてかなり疲れました。政府公認のガイドさんは歴史とともに教会についていろいろ説明してくれるのでガイド料はちょっと高いですがお願いして本当によかったです。というかガイドさんがいないと教会から教会までの移動が複雑で探すのが大変だと思いました。教会の入場料は地球の歩き方によると100ブルでしたが、去年の秋から200ブルに値上がりしたそうです。
最後に、こちらはラリベラの夕暮れです。丘の上から眺める夕焼けはすごく幻想的でした。

Tuesday, November 13, 2007

エチオピア滞在記:日本人会運動会

エチオピアの日本人コミュニティーは小さくて、外務省によると約160人の日本人がエチオピアに住んでいるそうです。先週の日曜日、その160人のうちの半数以上が参加したエチオピア日本人会の運動会に私も参加してきました。私はエチオピア日本人会に登録しているわけではないのですが、JICAの方に運動会があることをお聞きして、運動会は小さい頃から好きだしいろんな方々にお会いできると思って(締め切りが過ぎているにも関わらずお願いして)参加させてもらいました。予想通りJICAと大使館関係者が大半を占めていて、民間の方が数人いましたが今思えば国際機関で働いている参加者は私以外にいなかったような気がします(お会いできなかっただけかもしれませんが。。。)

私が参加した種目は台風の目と子供をかついで走るのと(名前忘れた)リレーと、全員参加の玉入れと綱引きでした。何気にみんな参加すると結構真剣になって、応援するほうもアツくなったりして、とても盛り上がりました。私がメンバーだった赤組は最後の最後で負けてしまい、この年になってもやっぱりくやしかったですが(笑)お弁当も美味しかったしいっぱい楽しめたので参加できてよかったです。

ご家族できていらっしゃる方もたくさんいて、子供たちに「これが運動会っていうんだよ」と教えていて、そうかー日本の小学校に行けない子たちは運動会を知らずに育つのかーなどと考えてしまいました。青年海外協力隊員として体育を教えている方が、将来体育の先生になる予定のエチオピア人たちを連れてきていました。彼らはずーっと、はじめてみる運動会というものを見学していたのですが、きっと、開会式や閉会式になると言われなくてもきちっと整列して大使や日本人会会長などのスピーチを黙って聞き、ラジオ体操もみんなが揃って同じ動きをし、最後は全員でごみ拾いをする日本人を見てどう思ったのだろうと思いました。なんて真面目な国民なんだろうって思ったかな・・・?

そんな楽しいのどかな日曜の午後、上司から電話が。月曜にエチオピア政府に提出予定のレポートが終わっていないので来てくれといわれ、オフィスへ直行。夜は友達のバースデー・ディナーがあったのでそれに2時間だけ参加し、ごめんオフィスに戻らないとといってその場を去ろうとするとみんな目を丸くして「え?今日曜の夜9時だよ?」「日曜に仕事を頼まれたら断るのが普通だよ」「日本人て本当に真面目なんだね」などと言われました。その日は運動会で早起きをしていたので、結局目がしょぼしょぼしてきてコンタクトレンズがとりたくなる夜中の1時まで働きました。やっぱり日本人て真面目なんだろうか。というより、この組織にいると「責任」に対するとらえ方が人によって大きく違うと感じます。日本人は頼まれたことはその日のうちに終わらせようとするけどいろんな国の人と働いていると次の日に持ち越す人が多いことに気づきます。彼らは5時や6時に仕事を終えて家族のもとへ帰るのが当たり前と思っています(まあ当たり前なんですが)。個人的には、日本人は働きすぎだと思うので緊急時以外はみんな健康的に6時に帰ろうよって思います。。。

Saturday, November 03, 2007

エチオピア滞在記:援助協調の実態


現在土曜の昼間。終わらぬ仕事をしにオフィスにきたらミッション・ルーム(出張者用にコンピューターが用意されている部屋)は満員で皆さんカチャカチャと集中して仕事しています。大抵ミッションの人たちはワシントンDCから1週間や2週間という短期間でくるので、滞在中は週末も仕事・仕事・仕事。。。平日のスケジュールがタイトすぎるのでチーム内のミーティングは夜や週末に行われることもしばしば。それにしても、この怒涛の4週間でたくさんの援助機関の人たちにお会いしました。政府関係者はもちろんのこと、USAID、CIDA、DFID、Italian Cooperation、Irish Aid、JICA、GTZ、WHO、FAO、UNICEF、UNECA、ADB、UNDP、WFP、CARE、Concern、Save the Children、ESHE、World Vision、Pathfinderなどなど。ほかにも、きっとたーっくさんのボランティアやNGOが存在していて、ひとつの組織の中でもいろんなプロジェクトが動いていて、情報共有を促進すべしとか援助協調は重要だとかみんなわかっていることなんだけれども、ひとつの分野の中でさえすべての動きを把握するのなんて不可能だし、いろんなチーム/組織とミーティングを持つにも時間は限られているし、関係者みんなが同じ目的を共有できているわけじゃないし、なんか開発ってすごく複雑だ、と思う今日この頃です。UNICEFのエチオピア事務所だけで職員が250人いるらしいので、多分エチオピアにいる開発関係者はきっと1,000人は軽く超えるだろうと思う。まだ現場にきて1ヶ月しか経っていないですが、最近気づいたことはプロジェクトの立案・実施・評価などにかける時間と同じくらい、他の組織とのコーディネーションに時間をかけているということ。もちろんいろんな組織が同じことをやってもしょうがないので、情報共有はすごく大事なんですが、みんなめざすところは同じはずなのに相手のアプローチに納得がいかず組織間の対立が生まれていたり、あの組織はうちの組織を仲間はずれにしているとかの不満が出たり、なるほどーこんなに現場ではポリティカルな問題が起こっているのかーということを目の当たりにしているところです。対立や意見の不一致は避けられないことなので、コミュニケーションの仕方(ある意味外交能力)を上司から学んでおります。

でもやっぱり今の仕事は楽しい!ちょっと大きすぎる組織なのでずっとここにいたいかは微妙ですが、現在はプロジェクトの立案段階で、いろんな組織の関係者と共同作業で準備を進めているところです。3月にはボード(理事会)にもっていきたいので、かなり慌しいですがほーこんなふうに開発プロジェクトを準備するのかーということが学べて良い経験になっています。夫は先週から隣国ウガンダに出張中で、時差がなくなり電話もしやすいです。彼は1ヶ月間ウガンダにいる予定ですがサンクスギビングにエチオピアに遊びにきてくれるので、今はその楽しみを糧に仕事をがんばりたいと思います。

*写真は2度目のフィールドトリップで撮ったものです。

Friday, October 19, 2007

エチオピア滞在記:フィールド・トリップ-栄養失調の子供たちに会う-

世銀・国連・政府機関合同のフィールド・トリップ(地方視察)に行ってきました。エチオピアは世界で最も貧しい国のひとつ。国民一人当たりのGNIは160ドルで、毎年UNDPが公表している人間開発指標は177カ国中170位と、アフリカの中でも最も低い水準です。そんなエチオピアの地方の人々は一体どんな生活を送っているのだろうと興味が湧く一方で、メンバーは全員40代、50代のベテランが勢ぞろいで、一番年下で経験も最も未熟な私はなんとかして存在意義を示さなければと戦々恐々とした気持ちでいっぱいでした。(朝早くから活動開始なので、絶対寝坊はできないと思って寝ると、夜中の2時頃寝坊した夢を見てがばっと起き上がって、あぁまだ2時かなんてことが度々ありました…)

移動は、でっかく“UN”と書かれたトヨタ車。地方に到着してから3台の国連カーが連なってガタガタのでこぼこ道を移動していると村の住民が手をふってきたり子供たちが走っておいかけてきたりすることも。
道路にはロバ・犬・牛・馬・ヤギなどが突然横切ったり、道のド真ん中につったっていたりして、注意深く運転しないと危険です。もし誤って轢いてしまうとその動物の所有者にお金を払わなければならず、私たちの運転手さんは一度妊娠している牛を轢いてしまったことがあり、2匹分(約400ドル)を所有者に支払ったそうです。
あと、地方にいくと、何もかもがめちゃめちゃ安い!コーヒーは1杯10円で飲めるし、ビールも一杯50円くらい。私たちが最初に泊まったホテルは、1泊900円くらいでした。ただ、やっぱり地方のホテルなのでもちろんその中ではいい方なのだとは思いますが、電気は暗くて部屋にゴキブリが出たりふとんを開けたら蛾が飛んできたり、私の上司の部屋のトイレには朝起きたら蛙がいたりしたそうです。私の部屋のシャワーのお湯は出たのですが、もう一人の上司の部屋のボイラーはこわれていて、フロントでペットボトルにお湯を入れてもらってそれで体を洗い流したそうです。あと、Y子から聞いていたとおり、マラリア除けのモスキート・ネットには穴が開いていたのですが、私は洗濯バサミを持っていくのを忘れてしまったので、モスキート・ネットに開いている穴をたまたま持っていたヘアピンでなんとか留めました。地方にいくときは、洗濯バサミと、殺虫剤と、シーツ(ベッドはカビくさいので自分のシーツで寝るのが一番)は必需品だと実感。

エチオピアでは、地域によって家の作りは微妙に違うそうですが、壁が泥でできた藁葺き屋根の質素なつくりの家が多いです。

村の住民の家に案内されて入っていくと、地面は土で、中は真っ暗で、ひんやりと寒かったです。小学校のときに見学に行った竪穴式住居を思い出しました。最初真っ暗すぎて話している人の目しか見えなかったのですが、目が暗闇に慣れてくるとだんだん顔が見えてくるといったかんじでした。ここで子供たちが勉強するのは大変だろうなと思いました。その村には電気も水道もありませんでした。

フィールド・トリップでは地方政府や村の住民やプロジェクト関係者など様々な人たちに会いました。その中でも、私の中で最もショッキングで心に深く刻まれた体験は、栄養失調の子供たちに会ったことです。地域のクリニックに行ったのですが、患者さんがいる部屋に入っていくと尿の臭いが立ち込めたハエだらけの部屋の中に栄養失調の子供たちとそのお母さんたちが部屋にひかれたマットレスに無気力な様子で座っていました。そこにいた赤ちゃんたちは、まさにこれまでテレビで見たことがある、足が棒のように痩せこけておなかが出ていて目がちょっと飛び出ていて皮膚がむけてしまっている状態でした。はっきりいって、あまりにも痛々しくて、そしてショッキングすぎて、赤ちゃんを直視できず、仕事できているのにも関わらず涙がこみあげてきてこぼれるのを食い止めるのに必死でした。心からこれはおかしいし、あってはならないと思いました。

私が開発問題に関わりたいと思ったのは、小学生のときにマザー・テレサとドクター・アルベルト・シュバイツアーの伝記を読んで、世の中には貧しい人たちがたくさんいることを知り、そして二人の命をかけて貧困問題に立ち向かう姿に感銘を受けたことがきっかけでした。そのときから、私は将来貧困削減にどんな形であれ貢献したいと決めていました。そのクリニックにいた子供たちは、深刻な病気に侵されていますがクリニックに連れてこられて治療が受けられているだけでも、クリニックに来ることすらできない多くの子供たちに比べたらよかったんだと思うようにしました。私にできることはなんだろうか。原点に戻った瞬間でした。そして自分にはもっと深い専門知識やスキルが必要だと強く感じました。これからもきっと試行錯誤を続けながら遠回りをしてしまうかもしれませんがきれいごとではなくて本当にこのような赤ちゃんたちが元気に暮らせるような環境作りに微力ながらも貢献したいと改めて思いました。

Tuesday, October 09, 2007

エチオピアの首都アジスアベバに到着!

先週の土曜日に、ワシントンDC→フランクフルト→スーダンを経由してエチオピアに到着しました。早速日曜日からタスク・チーム・ミーティング。毎日山のように仕事があってかなり忙しいです。アジスアベバの街を見てまわる余裕もなし・・・簡単にアジスアベバの第一印象を書くと、、、
1.寒い!標高2300m~2500mに位置するので昼間は暑くても夜は多分15度くらいまで気温が下がってすごく寒いです。ヒーターがほしい。
2.道を渡るのがこわい!歩行者優先なんてことはありえず朝はバンバン車が走っていてすでに何度もひかれそうになりました・・・信号があればいいのに。
3.寿命が縮まりそうなくらい排気ガスくさい。
4.エチオピアは世界的なコーヒーの名産地というだけあってコーヒーが濃くて美味しい。でも最高級のコーヒーは輸出されるのでここにあるのは普通のコーヒーだそうですがそれでも美味しい。毎朝オフィスにくるとローカルスタッフのエチオピア人の女性たちが各フロアに用意したコーヒーの香りが充満していてコーヒー好きの私はこれでかなり癒されてます。
5.眠りが浅くなる?!高山病らしき症状は出ていませんが、標高が高いからか慣れない生活や新しい職場環境のため緊張しているからかここにきてからあまりよく眠れていません。必ず2度は目が覚めます。普段は一度寝たら朝まで絶対に起きないのに・・・。
6.ネット環境がよくないのでスカイプの接続が悪い。それでもTと無理やり話そうとするのですが私の声は雑音にしか聞こえないそうです・・・

というわけで、街の風景の写真を撮る余裕もなく写真とともにお伝えできず残念ですが、本当はこんなことを書いている場合ではないのでさっさと仕事に戻ります。。。そして休む間もなく今週末からフィールド・トリップです。風邪などひいてメンバーのみんなに迷惑をかけるなんてことになったらどうしようもないので体調管理だけは気をつけようと思います。すでに野菜不足なのでマルチビタミン持ってきてよかった・・・。

Tuesday, October 02, 2007

ワシントンDCの夕暮れ


先週末、一眼レフにはまってしまったTさんが近所の散歩にわざわざ三脚を持っていき撮った写真。ワシントンDCでは寒すぎず暑すぎずちょうどいい天気が続いています。でも12月にエチオピアから戻ってきたら極寒なんだろうなぁ・・・

Sunday, September 30, 2007

エチオピア行き準備:予防接種

エチオピアへの出発まで2週間しかない、ということでまずは注射を打たねばと思い部署の人に教えてもらって私の組織のビルの地下2階にあるクリニックへ行きました。国際開発機関だけあって途上国へ行く人へのサポートは慣れたもので、私がエチオピアへ行くというと、じゃあ必要な注射はこれね、とドクターに教えてもらったものが以下の7つ。
1.Hepatitis A(A型肝炎)
2.Hepatitis B(B型肝炎)
3.Meningitis(髄膜炎)3年有効
4.Polio(ポリオ)
5.Tetanus / Diphtheria(破傷風/ジフテリア)10年有効
6.Typhoid(腸チフス)3年有効
7.Yellow Fever(黄熱病)10年有効

残念ながら、私が持っているのは破傷風/ジフテリアだけだったので、6本の注射を一気に打つことに。私は先週4つを一気に打って、あとの残りの2つは今週打つことにしました。B型肝炎の注射は量が多いからか次の日の朝までB型肝炎を受けた側の腕が痛かったです。A型肝炎は2回摂取でB型肝炎は3回接種なのでもちろん今回は間に合わないのでそのうちの1回目だけを打ちました。

マラリアの薬はいくつかあるそうですが、私の国際機関が東アフリカで勧めるものは以下の3つ。
1.Mefloquine(メフロキン)
2.Atovaquone + Proguanil(アトバクオン・プログアニル合剤)
3.Doxycycline(ドキシサイクリン)

メフロキンだけ週に1回しか服用しなくていいので(他の2つは毎日)、念のためメフロキンをもらっておきました。思えば、夫とタンザニアを旅行したときは予防接種が推奨されている国にも関わらず一つも受けて行かなかったので(イエローカードも持たず・・・)実はちょっと危険だったのかなと今更ながら思いました。もうできるだけ注射は打ちたくないので、イエローカードは絶対になくしたくないです。

Saturday, September 29, 2007

国連フォーラム/DC開発フォーラム合同オフ会

本日はワシントンDC開発フォーラム国連フォーラムの合同オフ会に参加してきました。場所はKストリートにあるタイ料理のレストラン。参加者約40名のうち約10名はNYからいらっしゃっていました。国連や世銀などの国際機関の職員と学生が比較的多かったように思います。久々の再会だけでなく新たな出会いも多く、楽しい時間を過ごせました。特に国連フォーラムのインタビューで記事を読んだことがある方々やよく両MLで拝見する方々にもお会いできて嬉しかったです。NY在住の方々とお話しして久々にNYに遊びに行きたくなりました。カラオケや日本の本屋が身近にあるって羨ましい!幹事の方々お疲れ様でしたm(_ _)m

Monday, September 24, 2007

今度はエチオピアへ!2ヵ月半行ってきます

無事に、6月まで働いていた某国際機関との新しい契約がおり、10月頭から12月中旬までプロジェクト調査のため東アフリカのエチオピアに行くことになりました!エチオピア料理は大好きだし、現地で開発プロジェクトに関われるなんて、すごーく楽しみです。早速在エチオピア日本大使館で今年の3月まで2年間働いていたY子に連絡し、いろいろ教えてもらいました。Y子がエチオピアにいればよかったのにーと本当に残念です。私がワクワクしている一方で、Tは2ヶ月の中米滞在から戻ってきたばかりなのに今度はエチオピアかい!しかもTの誕生日もサンクスギビングもいないのかい!とちょっとすねた様子。結局は私の性格をよく理解しているので応援してくれていますが、自分のやりたいことばかり優先してTに見放されたなんてことがないように気をつけます。。。それにしても、Tの誕生日は大学院時代の2年間は一緒に祝えたもののその後4年連続で一緒に祝えていないです・・・来年こそは!

というわけで、来週出発なのに何の準備もできていなくて心配ですが(しかもこの組織のトラベル・アレンジメントの仕方もよくわかっていない)プロジェクトに関する膨大な量のドキュメントを読みながらこれからビザや予防接種などの準備をしっかりと進めていきたいと思っています。ちなみに、私の組織の大半の人たちが出張に行く際はビジネスクラスで飛び5つ星のホテルに泊まるそうですが、私のボスはかなりの節約派で最も安いエコノミーで飛びホテルも1泊20ドル程度のゲストハウスに泊まると言っていたので私も彼にならってそうする予定です。ゲストハウスなので朝食などは付きませんが各部屋にバストイレ&キッチンがついていると言っていたのでグアテマラのユースホステルよりはずっと良さそうです。ただインターネットの接続がないのが痛いですが。。。エチオピアでも時間の許す限りたくさんの開発関係者に会いたいと思っているので、もしエチオピアに知り合いがいるという方がいらっしゃいましたら是非ご紹介ください!

Saturday, September 15, 2007

お勧め映画②(途上国関連)

前回はフェルナンド・メイレレス監督の「シティ・オブ・ガッド」「ナイロビの蜂」をご紹介しましたが、今回も私が個人的にお勧めの途上国関連の映画をご紹介します。

1.ブラッド・ダイアモンド
かなり売れたのでやや今更感がありますが、アフリカ、シエラレオネでの激しく残酷な内戦を描いた映画。かなり強烈です。主演はレオナルド・ディカプリオ、ジェニファー・コネリー、ジャイモン・フンスー。

2.Sierra Leone's Refugee All Stars
ブラッド・ダイアモンドの後にこちらを見てください。シエラレオネの内戦から逃れた難民が、隣国ギニアの難民キャンプで結成した「Refugee All Stars」というバンドのドキュメンタリー映画。UNHCRの支援を受けながら難民キャンプをまわる様子、暗い過去を振り返らずに音楽(レゲエやラップなど)を通して明るい未来へ進もうとする彼らの葛藤や前向きさに心を打たれました。彼らに会って直に彼らの音楽を聞きたいです。

3.God Grew Tired of Us
こちらはスーダンの内戦から脱出した少年たちのドキュメンタリー映画。ケニアの難民キャンプで暮らす少年たちがアメリカ政府に保護され、移民として受け入れられることになり、彼らの初めてのアメリカでの生活に密着。私たちには当たり前のことが彼らにとってはカルチャーショックの連続なわけで、機内食のバターを何かわからず丸ごと食べて「石鹸の味がする」と言ったり、エスカレーターが動いているので乗り方や降り方に戸惑ったり、生まれて一度も電気を使ったことがないのでスイッチにびっくりしたり、見たこともないカラフルなドーナツを不思議そうに味見してみたり。彼らの内戦時の経験に衝撃を受け、家族に対する思いに感動し、彼らのアメリカでのホームシックや寂しさを感じてやりきれない気持ちになりました。この映画は毎日何の不自由もなく便利な生活をしている私たちにたくさんのメッセージを投げかけてくれるので多くのアメリカ人やその他の先進国の人たちに見て欲しいです。ブラッド・ピットが製作総指揮として関わっていて、ナレーターはニコール・キッドマン。

4.Maria Full Of Grace
コロンビア人の17歳の少女マリアがアメリカ・ニューヨークにコカインを密輸するお話。実際にこうして若い女の子たちがお金のために信じがたい危険を侵している現実があると思うとなんておかしな世の中なんだろうと思いました。彼女たちをそうさせてしまうものは何なのか。貧しいだけが原因のすべてではないですが貧困削減は少しでもその解決に役立つだろうと思いました。お勧めの映画です。スペイン語の勉強にもなります。主役のCatalina Sandino Morenoは、この映画でコロンビア人で初めてアカデミー主演女優賞にノミネートされました。

Thursday, September 13, 2007

上杉鷹山

かつてケネディ大統領が最も尊敬する日本人に挙げた“ウエスギ・ヨウザン”。何かのメールマガジンで上杉鷹山の偉大さについて読んだことはあったものの、彼の歴史小説を読んだのは初めてでした。というのも、グアテマラにいる間に知り合いになったJICA職員の方からたまたまお借りしたのです。上巻・下巻と2冊あるのですが、面白すぎて、というか彼の強い信念と実行力に感銘を受けまくって一気に2日で読んでしまいました。途中、感動して涙が止まらなくなることも。。

上杉鷹山は、九州高鍋の小藩から17歳の若さで名門上杉家の養子として米沢藩の藩主の座につき、財政危機に陥って自滅寸前の米沢藩の改革を既存の形式主義にこだわらずに思い切って進めた人です。さまざまな逆風にも耐え、最後まで自分の信念を貫き通した鷹山に大いに励まされました。日本人として彼のような人物が存在したことを誇りに思います。

「藩政改革は民を富ませることにある。藩政府が富むことではない。」 「民は国の宝だ」
と言い続けて本気で改革を実行した鷹山。これを無理やり開発にも当てはめてみるとこんなかんじ→「途上国開発は国民を富ませることにある。途上国政府が富むことではない」

Saturday, September 01, 2007

グアテマラ滞在記:インターンシップ総論
















本当は第2週、第3週・・・と順々に書いていこうと思っていたのですが、長くなりそうなのでここで無理やりまとめに入りたいと思います。私は地方巡業のほかに、リサーチのタスクをいただき、約2週間本部にこもってあるテーマについてリサーチ&ペーパー書きをしていました。簡単にご説明すると、私が働いた組織がマイクロインシュランス(日本語で小口保険?)という新しい金融商品の導入を考えていて、グアテマラのマイクロインシュランス市場の動向についてと他の途上国でのマイクロファイナンス機関と保険会社とのパートナーシップの教訓について調べてレポートにしてマネジメントの方々にブリーフィングしました。スペイン語でペーパーを書いたのは初めてだったので、スタッフの人やホテルのグアテマラ人に何度も助けてもらいました。その2週間は、仕事が終わらないんじゃないかと心配で夜もホテルに戻ってから仕事し続けました。めでたくそのタスクが終わったあとは、再び地方巡業に出て、私が調べたことに基づいて健康保険や生命保険などに加入していない顧客にインタビューをして保険商品に対する需要やリスクの調査をしました。私にとっては大変やりがいのある仕事でした。

インターンシップ最終日、カントリー・ディレクターがランチに連れていってくれました。そこで他のスタッフの方々が待ってくれていて、なんとテーブルクロスやチョコなどのプレゼントをいただいてしまいました。これは本当に予想外でした。私の面倒を見てくれたコーディネーターのIの目に涙がたまっているのを見たとき、やばいこれはもらい泣きしてしまうと思ってぱっと目をそらして笑顔でその場を乗り切りました。受付担当のDは、自分の胸に付けていたエンジェルのネックレスをとってこれを見て私を思い出してねといって私にくれました。感動しましたという単純な言葉でしかそのときの感情を表せないのがもどかしいのですが、みんなの心遣いが本当に嬉しかったです。ワシントンに戻ってから、みんなと撮った写真とともに感謝のメールを送りました。

最後に、マイクロファイナンスの組織の問題点や課題などを書こうと思っていたのですが、Tにお世話になった組織を批判するようなことを公のブログに書くべきではないと注意されたので、ここには書かないことにします。私が働かせてもらった組織は、家族のようにスタッフの仲がよくて職場の雰囲気はすごく明るかったです。そのようなところで働くことができて本当にラッキーでした。ホームステイをしながら現地の人の生活を少しでも体験したり、現地の子供たちと一緒に思いっきり遊んだり、一つの地域だけでなくていろいろな地方を訪ねていろいろな人と話したりすることは、途上国の問題点を様々な角度から見て分析するための重要な要素だと改めて感じました。これからもチャンスがあれば(そしてなるべくTに心配をかけないように)どんどんチャレンジしたいです。  (完)

Friday, August 10, 2007

グアテマラ滞在記:出会い

仕事以外でも、多くの貴重な出会いがありました。私のNGOは毎年夏休みの時期にアメリカの大学院生をフィールド調査に送るのですが、ちょうどグアテマラにも3人の大学院生がオハイオ、ウィスコンシン、ニューヨークから来ていて、たまたまラッキーなことに私と同じユースホステルに滞在していたこともあって仲良くなりました。担当の仕事が違ったので一緒に働くことはありませんでしたが、もちろん情報共有は常にしていましたし、週末は一緒に買い物をしたり観光をしたり、平日の夜も500円くらいのワインを買ってリビングルームで飲みながら国連でボランティアをしていたUCLAの子も含め途上国開発についていろいろ語りました。

あと、ホテルのグアテマラ人のスタッフとも仲良くなりました。その中でも、20歳の男の子Aとの会話が印象に残っているのでここに書いておきます。Aはグアテマラの首都から北にバスで12時間ほどの先住民族の村出身で、18歳のときに16歳の奥さんと生まれたばかりの息子を村に残して、首都へ出稼ぎにやってきたそうです。彼は先住民族独自の言語を話し、学校でスペイン語を習う機会はなかったといいます。なので、初めて首都へ来たときはスペイン語が話せないため仕事が見つからず、やっと見つけたのは銃を持って立ち続けるガードマンの仕事でした。これは12時間立ちっぱなしで、休憩は30分しかもらえなかったそうです。そしてテレビを見ながらスペイン語を覚え、今年の春から今のユースホステルでの仕事をゲットしたそうです。彼は、ホテルで午後の3時から朝の6時まで15時間働きます。休みは日曜日のみ。でも、ガードマンの仕事と違って人と話せるし座っていられるからずっと楽しいと言っていました。私には彼が今の仕事にとても満足しているように感じられたので、お給料はいくらなのだろうと思って聞いてみたら、なんと1日15時間働いて5ドル(600円)しかもらえないそうです。いくら物価が安いグアテマラとはいえ、首都の生活費は激安というわけではありません。(マーケットの定食だって1.5~2ドルくらいはします。)そのお金を持って奥さんと息子さんがいる村へ3ヶ月毎に帰るそうです。(それも往復24時間かかるのに休みは3日間のみ。)村に残って家族と一緒に住みたくないの?と聞くと、村には仕事がなく両親の農業を手伝ってももらえる給料はわずかで季節に寄っては収入が全くないときもあるから、自分が首都で稼ぐしかないといいます。じゃあ、奥さんと息子さんを首都に呼んで一緒に暮らしたら?と聞くと、奥さんはスペイン語がしゃべれないので差別を恐れて首都には絶対に住みたくないと言っているそうです。内戦で多くの先住民族が殺されたことも影響しているのだと思います。Aと話していてこのどうにもならない状況にもどかしくなりなんだか悲しくなりました。家族と離れ離れなんてきっと相当辛いだろうと思います。彼は割り切ってホテルの客との出会いをそれなりに楽しみながら働いていますが、やっぱり奥さんだけでなく2歳になる息子に簡単に会えないのは寂しいと思います。

その村には電気と水はあるの?と聞いたら、水はあるが電気はないと言っていました。病院は?と聞くと、徒歩で5時間の隣町にあるそうですが、待たされるし保険がないから高くなるため彼は行ったことはないそうです。つまり、私たちが小さい頃に普通に受けている様々な病気の予防接種だって受けたこともないし、病気や感染症の検査をしたこともないし、奥さんの妊娠&出産ですら病院で診断を受けたことがないといいます。じゃあ、これまで病気になったときはどうしていたの?と聞いたら、Aは「教会に行ってお祈りする」と答えました。彼はカトリック信者で、祈り続ければ病気も治ると信じていました。人間は大昔、病院なんてない中で生まれてきたんだから本来たくましい生命力を備えているのだとは思いますが、首都で生まれたお金持ちの子は何か問題があったらすぐ最新の医療で対処できて予防もできるのに、病院が近くにない田舎で生まれてくる子は常に危険と隣合わせという不公平さは早く是正されなくてはならないと思いました。特にグアテマラは貧富の格差が広がる一方なのです。

で、話をタイトルの「出会い」に戻しますと、国連フォーラムのインタビューで、東京で開発関係者の集まりで一度お会いしたことがあるMさんがUNDPグアテマラ事務所副代表に就任されたことを知り、早速メールしてみました。すぐにお返事をいただき、土曜日にMさんとキューバ人の旦那様と3人でペルー料理をいただきました。スペイン語で話さなくてはと思ってはいたのですが久々に日本語を話せることが嬉しくて気付けば思いっきり日本語で話してしまいました。。。反省。国連のグアテマラでの活動を伺い、Mさんはまだお若いのにUNDPグアテマラ事務所のトップ2としてご活躍していらっしゃることに日本人としてすごい!と素直に感銘を受けました。

あと、4年前、私が大学院に通いながらワシントンDCの日本大使館の経済班でインターンをしていたときに、実は在グアテマラ日本大使館のS大使にお会いしたことがあり(当時はペルーの公使でいらっしゃいました)、せっかくグアテマラに来ているのだから是非またお会いできたらと思い、思い切ってメールを送りました。(今となっては大使に直接メールを送るなんてなんて失礼なことをしたんだろうと顔から火が出る思いです。。。)そうしたら次の日にお返事をいただき、4年ぶりに再びお会いすることができました。お忙しい中私のような若造に会う時間をとっていただいた大使に心から感謝しています。日本の対グアテマラ援助についてのお話を興味深く伺いました。

他にも、JICAグアテマラ事務所にも訪問し、数回夜の飲み会に参加させていただいたりして楽しかったです。グアテマラは日本の企業があまり進出していないので日本人コミュニティーは小さいそうです。治安が良くないため自由があまりない生活を強いられていて大変そうに感じました。

Saturday, August 04, 2007

グアテマラ滞在記:インターンシップ第1週目

インターンの最初の1週間は、私の希望通り、ひたすら地方をまわりました。営業についていったり、プログラム開始の手続きや実際にお金をデリバリーするところに立ち会ったり、お客さんのミーティングに参加したり、地方事務所の会議に参加したりしました。首都の中で最も治安が悪い地域にも行きました。あとから、その地域は日本大使館が「如何なる目的であれ立ち入らないことをおすすめする地域」に指定していることを知りました。JICAや日本大使館の職員はその地域には入れないそうなので、グアテマラのNGOだからこそそういう犯罪が多発していて支援を必要としている地域で活動ができるのだと思いました。首都から地方へは車で、現地での移動は徒歩か、日本でいう新聞配達用のバイクの二人乗りになります。バイクの二人乗りは、はっきりいって恐怖でした。ローンオフィサーが運転するバイクの後ろに乗るのですが、ヘルメットなんてないし、道ががたがたなのでとにかく揺れるんです。(たまに体が浮くほどに。)私はローンオフィサーの肩をがっしり掴んで落っこちないようにと必死だったのですが、私のその必死ぶりがおかしかったらしく他のローンオフィサーたちに笑われました。(私は笑えなかった・・・)














田舎の家々をまわって現地の人たちの生活ぶりを垣間見れたのは、日本やワシントンDCやグアテマラの首都では経験できなかったことで、私を受け入れてくれたNGOのおかげだと本当に感謝しています(しかも治安がよくないのでグアテマラ人と一緒に行動できたことはよかった)。6畳くらいの部屋にベッドが2つあるだけで、そこで6人の家族が暮らしていたり、ベッドが足りないからといってハンモックを子供たちにベッド代わりに使わせていたり、3つの家族が共同で使っているトイレはひとつしかなく、しかもその便器のすぐ横が料理をするところであったり、壁と屋根は木とトタン板でできていて雨漏りのせいで床が半分腐っていたりと、日本では考えられないような大変な環境で生活している人たちがいることをこの目で見て心に焼き付けました。















私のボスの話を聞きながらも手を休めることなくトルティーリャを黙々と作り続ける女性。フライパン返しを使わず手で裏返すので「熱くないですか」と聞くと、「私の手の皮は頑丈なんだよ」と額の汗を拭きながら答えてくれました。
私の組織が提供する小さなローン(100ドル~350ドル)だけでは生活に大きな変化を与えることはできないかもしれませんが、それをちょっとずつでも将来に投資して所得が増えるきっかけになってくれればと心から思いました。実際に、ローンがもらえたおかげでミシンを買うことができて民芸品を効率的に作ることができるようになったとか、ローンを使ってカート(手押し車)を買えたおかげでアイスクリームの売り上げが伸びただとか、プログラムの成功例はいくつも耳にしました。アンケートによると、既存の顧客の95%がこのNGOのサービスに満足しているそうです。