移動は、でっかく“UN”と書かれたトヨタ車。地方に到着してから3台の国連カーが連なってガタガタのでこぼこ道を移動していると村の住民が手をふってきたり子供たちが走っておいかけてきたりすることも。
道路にはロバ・犬・牛・馬・ヤギなどが突然横切ったり、道のド真ん中につったっていたりして、注意深く運転しないと危険です。もし誤って轢いてしまうとその動物の所有者にお金を払わなければならず、私たちの運転手さんは一度妊娠している牛を轢いてしまったことがあり、2匹分(約400ドル)を所有者に支払ったそうです。
あと、地方にいくと、何もかもがめちゃめちゃ安い!コーヒーは1杯10円で飲めるし、ビールも一杯50円くらい。私たちが最初に泊まったホテルは、1泊900円くらいでした。ただ、やっぱり地方のホテルなのでもちろんその中ではいい方なのだとは思いますが、電気は暗くて部屋にゴキブリが出たりふとんを開けたら蛾が飛んできたり、私の上司の部屋のトイレには朝起きたら蛙がいたりしたそうです。私の部屋のシャワーのお湯は出たのですが、もう一人の上司の部屋のボイラーはこわれていて、フロントでペットボトルにお湯を入れてもらってそれで体を洗い流したそうです。あと、Y子から聞いていたとおり、マラリア除けのモスキート・ネットには穴が開いていたのですが、私は洗濯バサミを持っていくのを忘れてしまったので、モスキート・ネットに開いている穴をたまたま持っていたヘアピンでなんとか留めました。地方にいくときは、洗濯バサミと、殺虫剤と、シーツ(ベッドはカビくさいので自分のシーツで寝るのが一番)は必需品だと実感。
エチオピアでは、地域によって家の作りは微妙に違うそうですが、壁が泥でできた藁葺き屋根の質素なつくりの家が多いです。
エチオピアでは、地域によって家の作りは微妙に違うそうですが、壁が泥でできた藁葺き屋根の質素なつくりの家が多いです。
村の住民の家に案内されて入っていくと、地面は土で、中は真っ暗で、ひんやりと寒かったです。小学校のときに見学に行った竪穴式住居を思い出しました。最初真っ暗すぎて話している人の目しか見えなかったのですが、目が暗闇に慣れてくるとだんだん顔が見えてくるといったかんじでした。ここで子供たちが勉強するのは大変だろうなと思いました。その村には電気も水道もありませんでした。
フィールド・トリップでは地方政府や村の住民やプロジェクト関係者など様々な人たちに会いました。その中でも、私の中で最もショッキングで心に深く刻まれた体験は、栄養失調の子供たちに会ったことです。地域のクリニックに行ったのですが、患者さんがいる部屋に入っていくと尿の臭いが立ち込めたハエだらけの部屋の中に栄養失調の子供たちとそのお母さんたちが部屋にひかれたマットレスに無気力な様子で座っていました。そこにいた赤ちゃんたちは、まさにこれまでテレビで見たことがある、足が棒のように痩せこけておなかが出ていて目がちょっと飛び出ていて皮膚がむけてしまっている状態でした。はっきりいって、あまりにも痛々しくて、そしてショッキングすぎて、赤ちゃんを直視できず、仕事できているのにも関わらず涙がこみあげてきてこぼれるのを食い止めるのに必死でした。心からこれはおかしいし、あってはならないと思いました。
私が開発問題に関わりたいと思ったのは、小学生のときにマザー・テレサとドクター・アルベルト・シュバイツアーの伝記を読んで、世の中には貧しい人たちがたくさんいることを知り、そして二人の命をかけて貧困問題に立ち向かう姿に感銘を受けたことがきっかけでした。そのときから、私は将来貧困削減にどんな形であれ貢献したいと決めていました。そのクリニックにいた子供たちは、深刻な病気に侵されていますがクリニックに連れてこられて治療が受けられているだけでも、クリニックに来ることすらできない多くの子供たちに比べたらよかったんだと思うようにしました。私にできることはなんだろうか。原点に戻った瞬間でした。そして自分にはもっと深い専門知識やスキルが必要だと強く感じました。これからもきっと試行錯誤を続けながら遠回りをしてしまうかもしれませんがきれいごとではなくて本当にこのような赤ちゃんたちが元気に暮らせるような環境作りに微力ながらも貢献したいと改めて思いました。