仕事以外でも、多くの貴重な出会いがありました。私のNGOは毎年夏休みの時期にアメリカの大学院生をフィールド調査に送るのですが、ちょうどグアテマラにも3人の大学院生がオハイオ、ウィスコンシン、ニューヨークから来ていて、たまたまラッキーなことに私と同じユースホステルに滞在していたこともあって仲良くなりました。担当の仕事が違ったので一緒に働くことはありませんでしたが、もちろん情報共有は常にしていましたし、週末は一緒に買い物をしたり観光をしたり、平日の夜も500円くらいのワインを買ってリビングルームで飲みながら国連でボランティアをしていたUCLAの子も含め途上国開発についていろいろ語りました。
あと、ホテルのグアテマラ人のスタッフとも仲良くなりました。その中でも、20歳の男の子Aとの会話が印象に残っているのでここに書いておきます。Aはグアテマラの首都から北にバスで12時間ほどの先住民族の村出身で、18歳のときに16歳の奥さんと生まれたばかりの息子を村に残して、首都へ出稼ぎにやってきたそうです。彼は先住民族独自の言語を話し、学校でスペイン語を習う機会はなかったといいます。なので、初めて首都へ来たときはスペイン語が話せないため仕事が見つからず、やっと見つけたのは銃を持って立ち続けるガードマンの仕事でした。これは12時間立ちっぱなしで、休憩は30分しかもらえなかったそうです。そしてテレビを見ながらスペイン語を覚え、今年の春から今のユースホステルでの仕事をゲットしたそうです。彼は、ホテルで午後の3時から朝の6時まで15時間働きます。休みは日曜日のみ。でも、ガードマンの仕事と違って人と話せるし座っていられるからずっと楽しいと言っていました。私には彼が今の仕事にとても満足しているように感じられたので、お給料はいくらなのだろうと思って聞いてみたら、なんと1日15時間働いて5ドル(600円)しかもらえないそうです。いくら物価が安いグアテマラとはいえ、首都の生活費は激安というわけではありません。(マーケットの定食だって1.5~2ドルくらいはします。)そのお金を持って奥さんと息子さんがいる村へ3ヶ月毎に帰るそうです。(それも往復24時間かかるのに休みは3日間のみ。)村に残って家族と一緒に住みたくないの?と聞くと、村には仕事がなく両親の農業を手伝ってももらえる給料はわずかで季節に寄っては収入が全くないときもあるから、自分が首都で稼ぐしかないといいます。じゃあ、奥さんと息子さんを首都に呼んで一緒に暮らしたら?と聞くと、奥さんはスペイン語がしゃべれないので差別を恐れて首都には絶対に住みたくないと言っているそうです。内戦で多くの先住民族が殺されたことも影響しているのだと思います。Aと話していてこのどうにもならない状況にもどかしくなりなんだか悲しくなりました。家族と離れ離れなんてきっと相当辛いだろうと思います。彼は割り切ってホテルの客との出会いをそれなりに楽しみながら働いていますが、やっぱり奥さんだけでなく2歳になる息子に簡単に会えないのは寂しいと思います。
その村には電気と水はあるの?と聞いたら、水はあるが電気はないと言っていました。病院は?と聞くと、徒歩で5時間の隣町にあるそうですが、待たされるし保険がないから高くなるため彼は行ったことはないそうです。つまり、私たちが小さい頃に普通に受けている様々な病気の予防接種だって受けたこともないし、病気や感染症の検査をしたこともないし、奥さんの妊娠&出産ですら病院で診断を受けたことがないといいます。じゃあ、これまで病気になったときはどうしていたの?と聞いたら、Aは「教会に行ってお祈りする」と答えました。彼はカトリック信者で、祈り続ければ病気も治ると信じていました。人間は大昔、病院なんてない中で生まれてきたんだから本来たくましい生命力を備えているのだとは思いますが、首都で生まれたお金持ちの子は何か問題があったらすぐ最新の医療で対処できて予防もできるのに、病院が近くにない田舎で生まれてくる子は常に危険と隣合わせという不公平さは早く是正されなくてはならないと思いました。特にグアテマラは貧富の格差が広がる一方なのです。
で、話をタイトルの「出会い」に戻しますと、国連フォーラムのインタビューで、東京で開発関係者の集まりで一度お会いしたことがあるMさんがUNDPグアテマラ事務所副代表に就任されたことを知り、早速メールしてみました。すぐにお返事をいただき、土曜日にMさんとキューバ人の旦那様と3人でペルー料理をいただきました。スペイン語で話さなくてはと思ってはいたのですが久々に日本語を話せることが嬉しくて気付けば思いっきり日本語で話してしまいました。。。反省。国連のグアテマラでの活動を伺い、Mさんはまだお若いのにUNDPグアテマラ事務所のトップ2としてご活躍していらっしゃることに日本人としてすごい!と素直に感銘を受けました。
あと、4年前、私が大学院に通いながらワシントンDCの日本大使館の経済班でインターンをしていたときに、実は在グアテマラ日本大使館のS大使にお会いしたことがあり(当時はペルーの公使でいらっしゃいました)、せっかくグアテマラに来ているのだから是非またお会いできたらと思い、思い切ってメールを送りました。(今となっては大使に直接メールを送るなんてなんて失礼なことをしたんだろうと顔から火が出る思いです。。。)そうしたら次の日にお返事をいただき、4年ぶりに再びお会いすることができました。お忙しい中私のような若造に会う時間をとっていただいた大使に心から感謝しています。日本の対グアテマラ援助についてのお話を興味深く伺いました。
他にも、JICAグアテマラ事務所にも訪問し、数回夜の飲み会に参加させていただいたりして楽しかったです。グアテマラは日本の企業があまり進出していないので日本人コミュニティーは小さいそうです。治安が良くないため自由があまりない生活を強いられていて大変そうに感じました。
Friday, August 10, 2007
Saturday, August 04, 2007
グアテマラ滞在記:インターンシップ第1週目
インターンの最初の1週間は、私の希望通り、ひたすら地方をまわりました。営業についていったり、プログラム開始の手続きや実際にお金をデリバリーするところに立ち会ったり、お客さんのミーティングに参加したり、地方事務所の会議に参加したりしました。首都の中で最も治安が悪い地域にも行きました。あとから、その地域は日本大使館が「如何なる目的であれ立ち入らないことをおすすめする地域」に指定していることを知りました。JICAや日本大使館の職員はその地域には入れないそうなので、グアテマラのNGOだからこそそういう犯罪が多発していて支援を必要としている地域で活動ができるのだと思いました。首都から地方へは車で、現地での移動は徒歩か、日本でいう新聞配達用のバイクの二人乗りになります。バイクの二人乗りは、はっきりいって恐怖でした。ローンオフィサーが運転するバイクの後ろに乗るのですが、ヘルメットなんてないし、道ががたがたなのでとにかく揺れるんです。(たまに体が浮くほどに。)私はローンオフィサーの肩をがっしり掴んで落っこちないようにと必死だったのですが、私のその必死ぶりがおかしかったらしく他のローンオフィサーたちに笑われました。(私は笑えなかった・・・)
田舎の家々をまわって現地の人たちの生活ぶりを垣間見れたのは、日本やワシントンDCやグアテマラの首都では経験できなかったことで、私を受け入れてくれたNGOのおかげだと本当に感謝しています(しかも治安がよくないのでグアテマラ人と一緒に行動できたことはよかった)。6畳くらいの部屋にベッドが2つあるだけで、そこで6人の家族が暮らしていたり、ベッドが足りないからといってハンモックを子供たちにベッド代わりに使わせていたり、3つの家族が共同で使っているトイレはひとつしかなく、しかもその便器のすぐ横が料理をするところであったり、壁と屋根は木とトタン板でできていて雨漏りのせいで床が半分腐っていたりと、日本では考えられないような大変な環境で生活している人たちがいることをこの目で見て心に焼き付けました。
私のボスの話を聞きながらも手を休めることなくトルティーリャを黙々と作り続ける女性。フライパン返しを使わず手で裏返すので「熱くないですか」と聞くと、「私の手の皮は頑丈なんだよ」と額の汗を拭きながら答えてくれました。
私の組織が提供する小さなローン(100ドル~350ドル)だけでは生活に大きな変化を与えることはできないかもしれませんが、それをちょっとずつでも将来に投資して所得が増えるきっかけになってくれればと心から思いました。実際に、ローンがもらえたおかげでミシンを買うことができて民芸品を効率的に作ることができるようになったとか、ローンを使ってカート(手押し車)を買えたおかげでアイスクリームの売り上げが伸びただとか、プログラムの成功例はいくつも耳にしました。アンケートによると、既存の顧客の95%がこのNGOのサービスに満足しているそうです。
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